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2007年9月30日

久流比神社 (豊岡市)

兵庫県の 久流比神社(豊岡市) を掲載しました。合計2151社。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・城崎温泉駅から南西3Kmほど
来日岳(556.7m)の南東麓、城崎町来日に鎮座。

円山川に沿って南下し、結和橋あたりで
来日川に沿って500mほど西へ。

道路を走行していると、
来日川の向こう、田の奥に社域の小山が見えてくる。
集落に入り、少し歩くと参道の小道。
道の奥、西向きに境内入口の鳥居が見える。

鳥居の脇には「式内 久流比神社」と刻まれた立派な社号標。
「タモの樹」と呼ばれる巨木のある参道階段を登ると境内。
階段の上に入母屋造の社殿が建っている。
拝殿の扁額には、丸い笠の付いた電球がつけられている。

創祀年代は不詳。

式内社・久流比神社に比定されている古社で、
祭神は闇御津羽神。

もとは来日岳に鎮座していたが
麓(宮代谷)に移されて後、宮代さんと呼ばれていた。
慶長十一年(1606)宮代の裏山が崩壊したため
現在地に遷座したという。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 17:14 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月27日

三國神社 (坂井市)

福井県の 三國神社(坂井市) を掲載しました。合計2150社。




福井県坂井市にある。
兵庫川と竹田川が合流し、九頭龍川に合流する手前。
えちぜん鉄道・三国神社駅の南500mの三国町山王に鎮座。
小山(山王山・旧三国山)全体が境内になっている感じで、
駅名になっているほど、当地では有名な神社。

当社の鎮座する三国は、日本海航路の要衝として
かっては三津七港に数えられたほど
古代より繁栄した土地。

境内入口は南側。
入口鳥居の脇には、大きな木が聳え、
左手には「縣社 三國神社」と刻まれた社号標。

参拝は、五月の連休の午後。
参拝時に結婚式が行われるようで、
鳥居の階段を、傘をさしかけられた花嫁が登っていた。

邪魔にならないように脇で待ち
一行が居なくなった頃に参拝開始。
鳥居をくぐり、階段を登ると随神門。
随神門をくぐると左手に宝物殿、神馬堂。

ゆるくカーブした参道を進むと、社殿。
拝殿の後方、垣に囲まれて入母屋造りの本殿。
本殿の後方、垣の間から見ると、本殿の軒下に一匹の猿の像。
山王宮と称していた頃の名残だろう。

男大迹天皇(継体天皇)が、坂井中高向から三国の地に移られ
治水・排水の難事業を克服され、開港の精華を得られたのは
宝亀四九年の頃。
その縁により、天皇崩御の後、
朝廷より天皇の御神霊を鎮め祀られたのが当社の起源。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 22:20 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月24日

佐佐牟志神社 (越前町)

福井県の 佐佐牟志神社(越前町) を掲載しました。合計2149社。




福井県の越前町にある。
鯖江駅の西、直線で6Kmほどの佐々生に鎮座。
三床山(334.9m)の北西麓、
和田川のそばにある小山全体が境内。
赤い欄干の橋のそばに、境内入口があり、
階段の脇には、「式内 佐佐牟志神社」と刻まれた社号標。

階段を上ると鳥居があり、
木々の茂る、良い雰囲気の境内。
境内中央に参道があり、参道の正面に社殿。
参道の左手に手水舎があり、右手に境内社の祠が一つ。

参道を歩き、数段の階段を上ると拝殿。
拝殿の後方に本殿がある。

拝殿には、龍を彫刻した扁額が掲げられているが、
龍の手には、龍玉のかわりに三つ巴。
当社の神紋だろうか。


創祀年代は不詳。
越前惣神分に正五位佐々牟志神とある古社。

佐々虫大明神とも称し、中古、八幡宮とも称していた。

往古は三床山山頂に鎮座していたが
弘仁十三年(822)、領主宮川出雲守要光によって
佐々生村内に壮麗な社殿が建立され、遷座。
保元・平治の乱に出雲守が破れ、滅亡したため
当社も衰微。

その後、大野藩主により社領が寄進され
さらに天正十一年(1583)秀吉による庇護により
社運を盛り返した。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 15:53 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月22日

御井神社 (養父市)

兵庫県の 御井神社(養父市) を掲載しました。合計2148社。

兵庫県の養父市にある。
山陰本線・養父駅から南西に、直線で10Kmほど。
道なりに進んで20Kmほどの大屋町宮本に鎮座。
大屋川に沿って6号線を西へ進む。
途中、6号線は明延川沿いの道になるが、
そのまま6号線を進み、
大屋町宮本で279号線に入って東へ進むと、
279号線が大きくカーブしている箇所にある小山の上、
御祓山(773m)の南西麓に境内がある。

参拝は、五月の連休。
参道入口の鳥居脇には、幟が掲げられていたが
例祭日が近い(あるいは終わった)頃なのだろうか。

「式内 御井神社」という扁額のある鳥居をくぐり、
参道坂道を上ると随神門がある。
山道の参道には、境内社の小祠が幾つか散在しており、
それぞれの小祠には社名が掲げられている。
確認したものは、厳島神社と諾册神社。
もう一つ、子安神社と思われる小祠があったが
撮影した写真のピントがボケていて
「子安」の「子」の字の部分が不鮮明なので確認できず。

さらに参道を進むと、
参道右手に階段があり、階段の上には八幡神社と小祠。

さらに参道を進むと、広い境内がある。
境内には、石灰だろうか、白い粉が撒かれていたので
足元に注意しながら、参拝開始。

境内左右にも幾つかの境内社があり、
中央奥に、当社の社殿。
拝殿の後方に、入母屋造の本殿がある。


創祀年代は不詳。

もとは現社地の北東2Kmにある
御祓山山頂に鎮座していたといい、
山頂付近には、宮屋敷・神子屋敷の小字が残っている。
当時は、
大屋谷十二ヶ村、建屋谷十四ヶ村の総社として崇敬された神社で、
岩井牛頭天王社とも称していた。

天文年間に火災にあい、社殿を喪失。
それを契機として、現在地に遷座したという。
当社の遷宮札には、
天文十五年(1546)四月八日に遷宮と記されているらしい。
ただ、伝承によると、天文以前にすでに現在地に移っており
現在地で火災にあったとも。

養父郡の式内社・御井神社に比定されている古社。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 16:51 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月20日

耳井神社 (豊岡市)

兵庫県の 耳井神社(豊岡市) を掲載しました。合計2147社。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・豊岡駅の西2.5Kmほどの宮井に鎮座。
奈佐川の北、光雲寺の西側に、道に面して、
南向きに、民家の間に参道入口がある。

参道の両脇には、綺麗に刈り込まれた生垣。
参道の奥に鳥居が見えるが、
その先は霧の中。
五月の早朝、当日二社目の参拝だが、
周囲の山や畑には、朝霧が漂っていた。

参道を進み、鳥居をくぐり、さらに参道を進む。
参道階段を上ると、もう一つの鳥居があり、
さらに参道と階段を上ると、社殿のある境内。

参道正面に本殿を納めた覆屋がある。
戸の格子から中を覗くと、
本殿らしき祠の右側にも、もう一つの祠がある。

天武天皇白鳳三年六月、
城崎郡司・物部韓国連鵠が
黄沼前縣主・耳井命を祀ったのが創祀。

だが、現在の祭神は御井神で、
耳井命を祀ったという伝承は、後世の付会と考えられている。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 20:27 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月18日

十六柱神社 (和田山町)

兵庫県の 十六柱神社(和田山町) を掲載しました。合計2146社。

兵庫県朝来市にある。
JR・和田山駅の北2Kmほどの和田山町林垣に鎮座。
9号線を北西に進み、円山川にかかる糸井橋を越えて
10号線を北東へ進む。
郷土歴史館のある通りに入るとすぐ。
道の北側に参道の入口がある。

参拝は、五月の連休、晴天の青空の下。
陽射しの強い午後。

参道を進むと、背の高い木の傍らに石の鳥居。
鳥居をくぐり、さらに進むと、正面に拝殿がある。
拝殿の後方には、秀麗な造りの本殿。
『兵庫県神社誌』には「王子造」とある。


創始年代、由緒は不詳。
祭神も不詳。

式内社・更杵村大兵主神社の論社の一つ。
明治の神社改めの際に、
更杵神社が、社殿や境内の貧弱さから
式外社とされてしまい、
当社が更杵村大兵主神社として報告されたらしい。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 19:33 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月17日

西刀神社 (豊岡市)

兵庫県の 西刀神社(豊岡市) を掲載しました。合計2145社。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・城崎温泉駅の北3Kmほど、
円山川の河口部にある津居山のある岬の根元にある
運河(瀬戸)のそば、城崎マリンワールドの駐車場の一角に鎮座。

参拝は五月の連休の早朝。
日出前から大雨が降っていたので参拝を中止しようかとも思ったが
とりあえず、豊岡市内のホテルを出発し
水飛沫をあげながら当社を目指す。
雨が降っていて場所がわからず、
仕方がないので、歩いて探そうと
駐車場に車を停めた、その目の前にあった。

垣に囲まれた小振りな境内。
入口の鳥居をくぐって境内に入り参道を進むと
もう一つの鳥居。
さらに進むと、神門のような割拝殿のような社殿があり
その奥に社殿がある。
この社殿は、本殿を納めた覆屋だが
社殿の中には明かりが付けられ
早朝でも扉が開いているようで、中に入って参拝ができる。

中に入ると、大きく立派な本殿がある。


現在の主祭神は稲背脛命で、相殿に西刀宿祢命を祀るが
資料によっては、西刀宿祢命一柱となっている。
社号から判断すると、本来は西刀宿祢命が主祭神だったのだろう。

社伝によると、
仁徳天皇十年八月、城崎郡司・海部直命の子・西刀宿祢に命じて
西刀の水門を浚渫せしめ、
履中天皇の御代、城崎郡司となす。
雄略天皇二年八月、西刀宿祢命を
瀬戸の丘に葬り、祠を建てて祀り、
水門を浚渫した鍬を相殿に納めたという。

境内案内板には、すでに稲背脛命を祀る神社が存在しており
そこに西刀宿祢命を合祀したとある。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 03:17 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月12日

敷山神社 (越前市)

福井県の 敷山神社(越前市) を掲載しました。合計2144社。




福井県越前市にある。
鯖江駅の東7Kmほどの春山町に鎮座。
服部川に沿って走る2号線から、少し南に入った場所。
路地の奥に境内入口の鳥居が建っている。

以前、冬に参拝したことがあるのだが、
福井県の神社の多くは、
冬季になると本殿に雪除けのシートが設置されて
写真の撮影に向かない。
そこで、当社を含めて2・3社の参拝だけで
予定を変更し、滋賀県へ移動したことがある。
その時に予定していたコースを、五月の連休に再度訪れたのだ。

鳥居をくぐり参道階段を登ると、広い境内。
境内の奥(南側)に拝殿があり、後方に流造の本殿。
冬の参拝時には、シートが付けられていたが
今回(春)は木枠のみが残されていた。


創祀年代は不詳。

社伝によると、往古は大社であったらしいが、
天正年間(1573~1591)の一向一揆によって
社殿ことごとく打ち壊され、その後、次第に衰微。
享保年間(1716~1736)には村内の火災で焼失した。

式内社・敷山神社の論社の一つ。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 21:50 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月11日

敷山神社 (鯖江市)

福井県の 敷山神社(鯖江市) を掲載しました。合計2143社。




福井県鯖江市にある。
鯖江駅の東7Kmほどの河和田町に鎮座。
河田川と天神川が合流する地点から北東へ500mほど。
山の斜面に境内がある。

境内入口の階段の上には石鳥居。
階段の右に「式内 敷山神社 是ヨリ三町」と刻まれた社号標。
左に「式内 指定 敷山神社」と刻まれた社号標が建っている。

鳥居をくぐると広い境内。
境内の右手には、漆器神社。
河田町は「うるしの里」と言うらしく、
河田川沿いにも同名社が存在する。

境内は、全体が山の斜面にあり、
階段をウネウネと登る感じ。
階段を登ると、神輿殿があり、
さらに登っていくと絵馬堂のような建物。
参道は、さらに登っていく。
参道には、織部灯篭のような背の低い灯籠が並んでいる。

参道を進むと、もう一つの境内社。
社名は確認できなかったが、
『福井県神社誌』には、境内社として漆器神社の他に
遠敷神社の名が記されているので、たぶん、遠敷神社だろう。

さらに参道を進むと、当社社殿のある境内。
中央に、入母屋造の拝殿があり、
後方には流造の本殿がある。
拝殿の扁額に「惣社敷山神社」と書かれている。
近隣の惣社的神社なのだろう。

境内の様子を文字で説明すると
かなり登るように伝わるかもしれないが、
実際は、それほど登るわけではない。

創祀年代は不詳。
一説には、
加賀国江沼郡敷地村菅生鎮座の石部神社の分霊を勧請した神社。
社伝によると、
もとは霊山岳に鎮座していたが、
延喜年間(901~)祠長より敷山神社の社号を付与され、
安和元年(968)、森禅空が神託を受け、
村人と相談して、大平の地(現在地)へ奉遷したという。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 23:01 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月 9日

黄金山神社 (金華山)

宮城県にある 黄金山神社(金華山) を掲載しました。合計2142社。



宮城県石巻市にある。
牡鹿半島の沖1Kmほどに浮ぶ金華山に鎮座。
周囲26Km、中央最高点445mの金華山は
恐山・出羽三山と並ぶ、奥州三大霊場の一つで、
島全体が当社の御神域。
金華山へは、鮎川や女川から定期観光船に乗る。

鮎川から20分程度の船旅で、金華山西側にある船着場に到着。
船着場のすぐ近くには神輿御旅所があり、石碑が建っている。

船着場から境内までは20分ほどの登り坂。
送迎バスのようなマイクロバスが走っているようだが、
(確認していないので、よくわからない)
せっかくなので歩いて登る。
参道の坂道は、舗装された綺麗な道。
坂道の始点には、当社の鳥居が建っている。

参拝は、夏休みの朝。
船着場に到着した頃は、小雨が降っていたので
傘を広げて歩くが、風に飛ぶ雨粒が
火照る顔に心地よい。
少し歩くと、赤い欄干の神橋があり、
橋の先には、赤い鳥居。
傍らには「縣社黄金山神社」と刻まれた社号標。
左手には、境内社の濱神社(八重言代主神)。
さらに参道を登って行くと、
御神木(樹齢800年の欅)があり、境内に到着する。

金華山全体に鹿や猿が居るようで、
境内でも数頭の鹿が散策していた。
参拝者がエサを与えるのだろう、
近づいても逃げないのは奈良と同じ。

境内の鳥居をくぐり、階段を登ると
楼門のような随神門。
随神門の奥に、さらに階段が続いており、
階段の左手には祈祷殿がある。

階段を登ると、正面に大きな拝殿。
拝殿の後方、垣の中に本殿があるのだが、
屋根しか見えなかった。

創祀年代は不詳。

社伝によると、金華山は、
神代の昔、大己貴命と少彦名命が国作りをしている時、
椿を作ろうと、金石を煉固めて作った山。

天平二十一年、丸子連等が相謀りて
山中より黄金を採取し、時の陸奥守百済敬福によって
黄金が朝廷に献上されたという。
その功績に拠って、丸子連は牡鹿連の姓を賜わったという。

また、大伴家持が産金を祝して、
すめらぎの御代栄えんと東なる みちのく山に黄金花咲く
という長歌を作り、
黄金山と呼ばれるようになり、
後に金花山・金華山と呼ばれるようになったという。

丸子連等が黄金を掘った時、
山頂に国常立命・海童神・金山毘古命の三柱を
山腹に金山毘売命を祀ったが、
後、本地垂迹により三柱を龍蔵権現、金山毘売命を弁財天と称した。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 21:50 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月 7日

志波姫神社 (高清水五輪)

宮城県にある 志波姫神社(高清水五輪) を掲載しました。合計2141社。



宮城県栗駒市にある。
古川駅の北10Kmほどの高清水五輪に鎮座。
4号線から少し東へ入った場所、
167号線(真山高清水線)のそばにあるのだが、
正確な場所を、忘れてしまった。
写真で確認すると、
境内左横に「コミュニティセンター」という建物が写っており
その「コミュニティセンター」の横で、道に面して境内がある。

入口(といっても境内に囲いは無いのだが)には
「史跡 五輪之塔」と刻まれた石柱。
境内奥に、赤い鳥居と石祠を収めた覆屋があるだけの
簡素な神社だ。

創祀年代は不詳。

以前は、現在地の西北500mほどの丘陵上にあったという。
『式内社調査報告』には、
現在の鎮座地住所が五輪17番地と記されており
「明治に至り字五輪四四番地に石宮を儲け遷座、
更に昭和五十一年三月現在地に移祀された。」
とあるのだが、
現在の鎮座地住所は、五輪四十四番地じゃないだろうか。

『式内社調査報告』にある写真は、
覆屋というより、雨よけの屋根だけなので、
『式内社調査報告』発行後に、
再度遷座・移築されたのかもしれない。

式内社・志波姫神社の論社の一つで、
古来、清水権現・清水明神と称された古社。
祈雨に霊験のある神として信仰され、
寛保年中夏の大旱の折に、たちまち雨を降らせ
領主より社領が寄進されたという。

覆屋のそばに、背の低い五輪塔と
いくつかの石碑が建っているが、
これが、史跡なのだろうか。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 23:44 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月 4日

桑原神社 (竹野町桑野本)

兵庫県の 桑原神社(竹野町桑野本) を掲載しました。合計2140社。

兵庫県豊岡市(旧竹野町)にある。
豊岡駅の西15Kmほどの竹野町桑野本に鎮座。
178号線を進み、江野トンネルを抜けた後、
竹野川に沿って西へ。
とにかく竹野川に沿って進むと桑野本集落に到着。
集落内は、道が狭いので、適当な場所に車を停めて、
地図を見ながら歩くと、社域の森が見えてくる。

境内は、低い丘の上。
田圃の畦道のような参道を進むと、境内入口に到着する。
入口には鳥居が立っており、
傍らに「桑原神社」と刻まれた社号標。
境内に入ると、まず境内社があり
その横の階段上にも境内社。
最初の境内社の前を通ると、
境内中央に聳える大イチョウ。
大イチョウの傍らに、本殿を納めた覆屋。
覆屋の右手に階段があり、その上にも境内社がある。

覆屋の中の本殿は、横に広めで
唐破風付きの屋根を持つドッシリトした造り。


創祀年代は不詳。

森本にある式内社・桑原神社は、
当社から移されたという説があるらしく、
『但馬考』などでは、当社を式内社・桑原神社としている。

明治までは稲蔵神社と称していたが、
明治十四年、現社名に改称した。

覆屋の隣りの大イチョウは、
イチョウとして兵庫県第三位の天然記念物らしい。
案内板によると、秋に葉が全部落ちると
翌日は雪が降るという伝承があるようだ。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 22:38 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月 2日

志波姫神社 (古川桜ノ目)

宮城県にある 志波姫神社(古川桜ノ目) を掲載しました。合計2139社。



宮城県大崎市(旧古川市)にある。
古川駅の北西3Kmほどの古川桜ノ目に鎮座。
江合川の北側、江合川にかかる桜の目橋の近くに境内がある。
境内入口は南側(だったと思う)。
参道入口に石鳥居が建ち、
鳥居の右手に「志波姫神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり参道を進むと朱の鳥居。
参道の右手は砂地の広場のような感じ。

さらに参道を進み、数段の階段を登ると社殿がある。
社殿は濃い褐色。入母屋造の拝殿の後方に本殿がある。

拝殿の屋根には桐紋が付けられており
中央には菊の紋。


社伝によると、
天平神護元年(765)の創祀。

式内社・志波姫神社の論社の一つで、
『三代実録』に「志波姫神従四位下」とある古社。

もとは現在地から7・800m離れた桜ノ目集落内にあったが
元禄六年(1693)、領主石母田氏によって
現在地に遷座された。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 16:07 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2007年9月 1日

荒嶋神社 (大野市)

福井県の 荒嶋神社(大野市) を掲載しました。合計2138社。




福井県大野市にある。
越美北線・下唯野駅の南3Kmほどの佐開に鎮座。
真名川の東岸を南北に走る171号線を南下し
少し東へ入る。
もう少し南下すると、真名川にかかる佐開橋を越えて
157号線と合流する地点だが橋を渡らずに東へ。
車道を進むと、正面に境内が見えてくる。

鳥居をくぐると、背の高い木々の茂る境内。
鳥居の右手には「式内 荒嶋神社」と刻まれた社号標。
境内の奥が一段高くなっており、その上に拝殿がある。
階段を登ると正面に拝殿。
拝殿の左手には、横向きに「嵐嶌宮」。
(あらしまぐう、と読むのだろうか)。

拝殿の後方が、さらに一段高くなっており、
本殿や境内社の社殿が並んでいる。
本殿は瓦葺の流造だが、側面には雪除けのためか
テント地らしきシートが付けられていた。
また、本殿の扁額には「春日宮」と書かれている。


創祀年代は不詳。
明治元年8月に現在地へ移された神社で、
それ以前は、当社の東に聳える荒島岳(1523m)の
中腹に鎮座していたようだ。
現在地には、もと春日宮が鎮座しており
春日宮の地に荒嶋社が合祀され
社号を荒嶋神社と変えたことになる。
だから、本殿には、
いまだに「春日宮」と書かれているのだろう。
とすると、拝殿の左手にある「嵐嶌宮」(あらしま宮?)は
どういう位置づけになるのだろうか。
こちらが、山から下りてきた大権現なのかもしれない。

伝承によれば、物部大連公がこの山を領し、
公の没後、里人が公を崇めて大権現として祀ったという。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 19:48 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

 

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