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2009年1月31日
神明社 (三国町神明)
福井県の 神明社(三国町神明) を掲載しました。
福井県坂井市にある。
三国駅の西500mほどの三国町神明に鎮座。
九頭竜川・兵庫川・竹田川が合流する河口部にあり、
海にも近い場所。
境内入口は南側。
鳥居は、珍しい中山鳥居。貫が貫通していないのが特徴。
参道を進むと、正面の拝殿。
その後方に、立派な中門があり、
垣に囲まれて神明造の本殿が鎮座している。
参拝当日は天気が良くて、陽射しも強く
写真は影が濃すぎてNG。
社殿の左手に、境内社があるが、
一番左手の、大きめの境内社には名前が記されておらず
扉の穴から中を覗くと「味坂神社講中」と書かれた提灯が下がっていた。
本殿近くの境内社も名前はわからない。
狛犬の他に、狛狐があるので稲荷社かとも思うが、
鳥居には「合社」とのみ記載されているので
幾つかの境内社が合祀されているのだろう。
帰宅後の地図を確認すると、
境内東北隅に、辰巳川神社という境内社があるようだ。
社殿右手に道があり、公民館のようなものがあったが、
その裏手にあり、参拝当日には気付かなかった。
社伝によると、
往昔、越前国坂井郡坂井港字日和山に、
一邑の氏神として鎮座。
後、男大迩皇子(継体天皇)が、枚岡という地に潜龍の時、
三大河(九頭竜川・日野川・足羽川)を開拓し、
枚岡を行在所とした。
後、日和山の社を枚岡に遷座して、枚岡神社と称したという。
投稿者 GenSyouShi : 2009年1月31日 13:05
こめんと
十二社ある准勅祭社ですが、『品川貴船』というのは品川神社ではなく荏原神社のことのようです。今では、両者が准勅祭社と言っています。昔は、品川神社は稲荷社、荏原神社は貴船社と地図にも載っています。歴史も荏原神社の方が古く、東京遷都の際には内侍所にもなったほどです。なにやら、混沌しているようですが・・・
投稿者 真実は何処 : 2009年3月 1日 03:02
まず、コメントは適切な記事にお願いします。
准勅祭社の件は、福井の神明社とは全く関わりがありません。
> 十二社ある准勅祭社ですが
准勅祭社は、明治の制度であり、
『府治類纂』『神祇官達』等の明治初期の公文書に記録が残っております。
当時の記録に、准勅祭社指定の通達や、
准勅祭廃止による府県管轄に戻すという通達があり、
その中に、品川神社の名が記載されております。
投稿者 玄松子 : 2009年3月 1日 12:34
神道辞典にも『品川貴船』とあります。品川神社は貴船ではありません。
公文書にも『品川貴船』か『品川』が殆どです。
貴船と呼ばれていた荏原神社が准勅祭のようです。
かなり深く調べると真実に驚愕されると思います。
尚、准勅祭欄にこめんと出来ませんでした。
パソコンは慣れていないので誠に申し訳ありません。
ただ、意外なところに歴史の真実は隠されているものです。
研究御熱心のご様子なので書き込みさせて頂きました。
お気に召さずば、削除して構いません。
僅かでも私の意を酌み取って頂けるなら幸いでございます。
投稿者 真実は何処 : 2009年3月 1日 17:17
ですから、
> 『府治類纂』『神祇官達』等の明治初期の公文書に記録が残っております。
『府治類纂』に、
「日枝神社 根津神社 神田神社 芝神明社 亀戸天神社
駒込白山社 品川神社 富岡八幡宮 赤坂氷川社 王子神社
右神社、今般東京城鎮護被准勅祭、当官直支配申渡候
間、為御心得申入置候也」 という神祇官通達が記録されており、
明治元年十一月八日『神祇官達』にも
「一、府内外十二社今般被准
勅祭神社候旨申渡左之通、
各通
日枝神社 神田神社 根津神社 神明宮 氷川神社
富岡八幡宮 六所神社 鷲宮神社 亀井戸天満宮
品川神社 王子神社 白山神社
右今般被准
勅祭神社、当官直支配被 仰付候事、
辰十一月八日 神祇官」 とあります。
また、准勅祭社ヲ各府県ノ管轄ト為ス 通達の後、
「府外管轄所
品川県 品川神社
同 六所神社
小菅県 鷲宮神社
浦和県 王子神社」 などと記され、
当時の 通達・公文書には品川神社と明記されています。
さらに、当時の品川神社神官であった小泉帯刀(明治三年没)による
慶応四年から明治二年までの 「御新政後記録」 も残っており
准勅祭申付の写しなども残っているということです。
その中に、
「同(辰十一月)八日、神祇官ヘ出ル、十社神主順席ヲ以左之
御書付御渡シ、
品川神社
右今般被准
勅祭神社、当官直支配被 仰付候事、
辰 十一月 神祇官 印
(中略)
十社神主座順
第一 芝神明神主 小泉大内蔵
第二 日枝神社神主 樹下内膳
第三 根津神社神主 伊吹左京
第四 神田神社神主 芝崎美作守
第五 亀戸天神社神主 大鳥居信敬
第六 駒込白山神社神主 中井伊織
第七 品川神社神主 小泉帯刀
第八 冨岡八幡神主 冨岡 栄
第九 赤坂氷川神社神主 斉藤織部
第十 王子神社神主 大岡兵庫
(後略)」 とあり
通達の詳細も記録として残っています。
> 僅かでも私の意を酌み取って頂けるなら幸いでございます。
明治政府による公式記録が残っている、という
私の記載の意味を、まず、御理解ください。
> ただ、意外なところに歴史の真実は隠されているものです。
意外なところを探す前に、まず、順当な資料を参照することをお勧めします。
資料の真贋については、その後の話ですが。
投稿者 玄松子 : 2009年3月 1日 20:07
http://www.genbu.net/engi/cyokusai.htm
上記のページに、
「東京都神社史料」 よりスキャンした資料を載せて置きました。
准勅祭社通達の時の状況がわかると思います。
投稿者 玄松子 : 2009年3月 2日 22:00






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