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2009年2月27日

杉桙別命神社

静岡県の杉桙別命神社 を掲載しました。

木宮や神代の昔偲ばるる仰ぐも尊し樟の大森 夢安禅師

静岡県の河津町にある。
伊豆半島の南東部、下田の北。
伊豆急行・河津駅の北西1Kmほどの田中に鎮座。
駅からまっすぐ通りを進むと、参道入口がある。

ちょっと狭い道を進むと鳥居が建ち、
さらに進むと境内。

参拝は正月二日だったため、
境内には大祓の茅輪が設置され、
観光客・初詣客も多く、
仮設テントで迎春用の品々が売られていた。

ということで、社殿の周りには人が参拝をする人が多かったのだが
人が途切れるまで、しばらく周囲を散策。

参道の正面に大きな拝殿があり、
拝殿の後方には、さらに大きな本殿覆屋。
その覆屋の左手に、大きなクスの木が聳えていた。
国に天然記念物だそうで、樹高24m。
周囲は、垣に囲まれた苔むす場所で近づけないのだが
あまりに立派なので、参拝待ちの間、ずっと眺めていた。

創祀年代は不詳。
和銅年間の再建という古社。

式内社・杉桙別命神社に比定され、
『伊豆國神階帳』に「従四位上 ほこわけの明神」とある神社で
大見十六村(川津十七村とも)の惣鎮守。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 19:54 | こめんと (3) | A. 掲…掲載

2009年2月25日

岡太神社 (越前市粟田部町)

福井県の 岡太神社(越前市粟田部町) を掲載しました。

福井県越前市にある。
武生駅の東7Kmほどの粟田部町に鎮座。
417号線に参道入口があり、
参道奥に朱の鳥居が見える。
懐かしい雰囲気の参道風景だ。

参道を進み、鳥居をくぐると砂利の境内。
地元の大社だけあって、綺麗に整備されている神社。
参道正面に立派な入母屋造の拝殿があり、
拝殿左手に「繼軆天皇潜龍之聖迹」の石碑があるが
本殿はもっと奥。
拝殿左右に、本殿への参道が続いている。

左右参道のどちらから回っても良いのだが、
こういう場合、常に左へ回ることに決めているので
今回も左から参道を進む。

本殿参道脇には神輿殿があり、
苔むした良い感じの参道が続く。
さらに進むと、本殿のある境内。
垣に囲まれて流造の本殿が鎮座しており
本殿の左には貴船神社、右には須波阿須疑神社の小祠がある。

本殿から左手に登っていくと
琴弾山展望台があり、花筐公園となっているようで、
展望台のその先に男大迹皇子お手植えの薄墨桜がある、
が、展望台へは行っていないので、薄墨桜も見ていない。

社伝によると、男大迹皇子が御潜龍の折、
当地の水害を憂い、水路を穿ち、
九頭龍・足羽・日野の三大川を開かれた時、
建角身命・國狹槌尊・大己貴命の三柱を奉祀し
岡太神社と号して祈誓されたのが起源。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 23:58 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2009年2月22日

八幡神社 (長森岩戸)

岐阜県の八幡神社(長森岩戸) を掲載しました。

岐阜県岐阜市にある。
岐阜駅の北東3kmほどの岩戸森林公園に鎮座。
248号線を東へ進み、岐阜東バイパスの手前で北へ入る。

岩戸森林公園の南端、西側の山の麓に境内があり、
通称は、岩戸八幡神社。境内入口は東向き。
鳥居をくぐり、参道を進むと拝殿があり、後方に本殿。

境内には「担石」と称する力石が置かれており、
境内社が数社、山の斜面に点在しているが
詳細はわからない。


明治初年、岩戸村の氏神として
海津郡より勧請された神社。

境内に伊奈波神社方面から、稲葉山麓を経て
各務原方面に通じる「ジンム道」と呼ばれる古道があるらしく
式内社・物部神社の古社地であると考えられている。

一説には、式内社・物部神社は、もと当地(岩戸)にあったが井ノ口へ遷座し、
そこへ、丸山より伊奈波神社が遷座して来てのち、伊奈波神社に合祀されたとする。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 18:55 | こめんと (1) | A. 掲…掲載

2009年2月14日

仲神社 (松崎町)

静岡県の仲神社(松崎町) を掲載しました。

静岡県の松崎町にある。
松崎町役場から那賀川に沿って
15号線を2Kmほど東へ遡った那賀に鎮座。

15号線から少し北へ入った場所にあり、
境内には那賀生活改善センターがある。
これは通常の神社の社務所、
あるいは参集殿のような建物を転用したのだろう
と思う。

境内は、広くはないが、すっきりとした感じの神社で、
大きな木が聳えているが、銀杏だろうか。

境内北側に、白塗りの社殿がある。
瓦葺の拝殿の後方には、倉のような印象の本殿。
昭和三十三年の台風で社殿が倒壊したため、
昭和四十八年に再建された現在の社殿が
コンクリートだから、そんな印象なのだろう。

参拝は元旦の朝。
社殿には注連縄に蜜柑。

創祀年代は不詳。
中古、松崎町の伊那上神社に合祀され
高根明神と称していたが、
後に、現在地に遷座し、旧称・仲神社に戻したらしい。

当社は、式内社・仲神社の論社の一つであり、
式内社・伊那上神社、式内社・仲大歳神社の論社でもある。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 12:04 | こめんと (1) | A. 掲…掲載

2009年2月11日

篠座神社 (大野市)

福井県の 篠座神社(大野市) を掲載しました。

福井県大野市にある。
越前大野駅の南西1,5Kmほどの篠座に鎮座。
158号線から北へ200mほどの場所に参道入口がある。
参道入口は東向き。
石垣に囲まれた境内で、入口には石の鳥居が建っている。
鳥居の左脇に「縣社式内篠座神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり参道を西へ進むと、社殿のある境内。
参拝は、五月の連休だが、参道には桜の花が残っていた。
もう一つの鳥居をくぐり、参道を進むと正面に拝殿。
境内左手には豊明殿が建っている。

社殿は、入母屋造の拝殿と、後方に同じく入母屋造の本殿。
境内は東西に長い構造で、奥行きの深い神社。

境内左手奥、木立の中には境内社の温見白山神社が鎮座しており、
右手奥には、眼病に霊験のある御霊水と天女ヶ池がある。
天女ヶ池の中島には境内社・磐座神社が祀られている。
磐座神社には、平安時代に牛ヶ原の弁天さまも合祀され、
旱ばつの年には必ず、当社まで舞楽を奏し、
行列して雨乞いが続いたという。


創祀年代は不詳。

社伝によると、養老元年(717)三月、
泰澄大師が白山登拝の途次、
篠座を経て六月十八日禅定後、
九月に再び篠座に戻られた時、虚空に声があり、
「我は大己貴命なり。かかる林泉の勝地である故
常に心を楽しませ降遊する」との告げがあり祠を造営し
尊容を刻んで安置したという。

元亀年間、朝倉氏の兵火にかかり滅亡したが
元和年中、金森氏によって再建。
式内社・篠座神社に比定されている古社である。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 13:48 | こめんと (2) | A. 掲…掲載

2009年2月 8日

道相神社 (南丹市)

京都府の 道相神社(南丹市) を掲載しました。

京都府の南丹市にある。
小浜と京都を結ぶ周山街道(162号線)から少し南下した場所。
南丹市役所美山支所から由良川に沿って368号線を南下し、
19号線に入って300mほど南下し、
19号線から東の小道に入ると、当社境内がある。

境内入口は西向きで、朱の鳥居が建ち、
右手には「郷社 道相神社」と刻まれた社号標。
鳥居扁額にも「道相神社」とある。

当社社号の「道相」は「どうそう」と読むが、
通常は「道祖」と書いて「どうそ」と読む。
「道相」と書く道祖神社は、全国でも当社のみ(だと思う)。

鳥居をくぐると、綺麗な砂利の参道があり、
植木の刈込も丁寧に行われているようで、気持ちの良い神社。
参道奥には神門(山門)があり、
門をくぐると社殿のある境内。
境内中央に舞殿のような拝殿があり
その後方、階段上に本殿がある。

参拝は、八月真夏の休日。
快晴の青空と、背後の緑の山が美しかった。

創祀年代は不詳。

社伝によると、
允恭天皇の第一皇子・木梨軽皇子(軽野皇子)が
丹波国桑田郡の幽谷河内谷に潜居し、
さらに軽野より板橋に遷って一祠を創建したのが当社の起り。

「軽野」と神野の類似からか、
当社を式内社・神野神社の論社とする説があるらしい。

後、郷民は皇子の遺徳を追慕し
皇子をこの社に合祀し、道相神社と称したという。

また、一説には崇神天皇御宇、
四道将軍の一人としてこの丹波地方に遣わされた丹波道主命が
当地開発のため、ここ宮脇の地に野々宮御所を創建されたのが起源とも。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 14:45 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2009年2月 5日

小川神社 (小川村小根山)

長野県にある、小川神社(小川村小根山) を掲載しました。

長野県の小川村にある。
小川村役場から西へ1.5Kmほどの小根山に鎮座。
31号線の南に、鎮守の森のような境内がある。

境内入口は南側。
商店のような建物の間に、褐色の鳥居が建っており、
参道を進むと広い境内。

参道正面に黒い屋根の拝殿があり、
左手に赤い屋根の御射山神社がある。

拝殿の後方に、背の高い本殿覆屋があり、
内部に流造の本殿がある。
覆屋側面の窓の部分がガラスになっており本殿が見えるのだが
写真ではうまく撮影できなかった。
良く見ると、本殿屋根の後方部分が、覆屋からはみ出ている。

創祀年代は不祥。

社伝によると、祭神・健御名方命が出雲での武甕槌命との戦いに敗れ、
母神・沼河比売命の郷里・糸魚川を経て信濃を開拓。
母神への往来(糸魚川街道)の要衝である当地に
村民が、その徳を慕って奉斎したという。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 20:27 | こめんと (0) | A. 掲…掲載

2009年2月 2日

八幡神社 (春江町境)

福井県の 八幡神社(春江町境) を掲載しました。

福井県坂井市にある。
北陸本線・春江駅の北西500mほどの春江町境に鎮座。
石垣に囲まれた境内。
境内入口には「八幡神社」と刻まれた社号標が建っているが、
境内は、地震等の避難所になっているようで、
避難所の案内には「境八幡神社」とあり、
通称は、地名付きで呼ばれているのかもしれない。

鳥居をくぐると砂地の境内で、
社殿の周囲にしか木々(松)がなく、
非常にあっさりした印象の神社。
最近、整備等が施されたのだろうか。
福井大地震で全壊したそうなので、
その後、木々などが植えられてないのかも。

参道を進むと、正面に瓦葺・入母屋造の拝殿があり、
後方、石組みの上に銅葺・流造のやや小振りな本殿が鎮座。
拝殿と本殿は渡り廊下で繋がっている。
北国の神社なので、本殿は雪除けのためのガラスで覆われていた。

創祀年代は不詳。
江戸時代初期に、境村(南西200mほどの小学校敷地)より遷座。
境村にあったことから、式内社・坂名井神社の論社となっている。

本殿の左手に、境内社の石祠がひとつ。
『福井県神社誌』によると「女神さん」なのだそうだ。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 20:45 | こめんと (3) | A. 掲…掲載

2009年2月 1日

楯縫神社 (美浦村木原)

茨城県の 楯縫神社(美浦村木原) を掲載しました。

茨城県の美浦村にある。
美浦村役場の北1Km、土浦駅の南東10Kmほどの木原に鎮座。
125号線から一つ北へ入った道に境内入口がある。

参道入口には「楯縫神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり、100m以上ありそうな参道を北東へ直進する。
木々の鬱蒼と茂る参道途中にも鳥居が立っており、
さらに進むと社殿のある境内。

参拝日は朝から小雨の降る天気で、
当社へ到着したころには、雨は止んでいたが、
木々が吸い込んだ水分を放出しはじめて
淡い霧の中のような、幽玄な参道に、深呼吸しながらの参拝。

木々のアーチの参道を抜けると、緑の境内。
社殿は、どっしりとした入母屋造の拝殿に、流造の本殿。
拝殿前には、御神木らしき巨木も。

茨城の古社には、
当社のように、鬱蒼と茂った木々の長い参道を持つ神社が多く、
雨後などの参拝が、心地よい。

社伝によると、
推古天皇十六年(608)の創祀。
御祭神・普都主命が兜楯を脱いでこの地に残された故事にちなんで
楯脱ぎ(楯縫)の社号となったという。
式内社・楯縫神社に比定されている古社。

鎮座の年代は、一説には神武天皇十八年とも、元明天皇和銅元年とも。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 17:06 | こめんと (1) | A. 掲…掲載

 

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