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2009年6月29日
志那神社 (草津市)
滋賀県の 志那神社(草津市) を掲載しました。
滋賀県草津市にある。
草津駅の北西5Kmほどの志那町に鎮座。
草津駅から琵琶湖へ向かって進むことになるが、
どの道を通ったのかよく覚えていない。
とりあえず、志那漁港を目指して車を走らせると、
道の北側に参道入口の鳥居が見える。
鳥居の右手には「志那神社」と刻まれた社号標が建っており、
左手には案内板。
鳥居をくぐると、木立の参道が70mほど。
参道突き当りに、白壁に囲まれた境内があり、鉄の扉が付いている。
この扉がいつも開いているのかどうかはわからないが、
参拝した年末休日には開いていて、
境内には一台の軽トラックが停まっており、
迎春準備をしている様子だった。
境内の中央に拝殿があり、境内右手には藤棚がある。
この藤棚の由来は調べていないが、
当地方の神社境内には、よく藤棚がある。
この後参拝した三大神社には「老藤由来記」として
天武天皇の勅により、藤原鎌足の葬られた談峯の藤花に因んで、
藤原氏の隆盛を祈念して、倉橋山の藤を移植したとあり、
当社の前に参拝した惣社神社では「惣社大藤の縁起」として
天武帝の除病延命仏法興隆を祈念して藤が供えられたことに始まるとある。
当社の藤も、天武天皇の頃に起源を持つ藤の一つなのだろうか。
創祀年代は不詳。
社伝によると、当社が式内社・意布伎神社であって
いかなる理由によってか、社号が改称されたという。
投稿者 GenSyouShi : 17:28 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
2009年6月27日
富知六所浅間神社 (富士市)
静岡県の 富知六所浅間神社(富士市) を掲載しました。
静岡県の富士市にある。
富士駅の北東3Kmほどの浅間本町に鎮座。
東名高速・富士I.C.の南入口に近い場所。
139号線の吉原五丁目交差点から西へ400mほどの位置に参道入口があり、
中学校を越えた辺りから北上すると境内入口の鳥居が建っている。
木々に囲まれた境内で、鳥居をくぐると左手に手水舎、
正面に入母屋造の堂々とした社殿。
参拝は五月の連休前の休日。
街中の神社だが緑が多く、綺麗で気持ちの良い神社。
社殿の右手に、天然記念物の樹高15mの大クスがあるが
途中で二股に分かれていて、コブがあり、
まるで、Vサインのような形が面白い。
通称は、三日市浅間神社。
創祀年代は不詳。
社伝によると、人皇五代孝昭天皇の二年六月の創祀。
崇神天皇が建沼河別命を東国に派遣の際、
建沼河別命が当神社を崇敬したとあり、
平城天皇大同元年五社浅間を勧請するに当り、
五部の大磐若経を納め給いし時に当神社を首座としたとある。
『明治神社誌料』には、
景行天皇の御宇、日本武尊東征の時の勧請とあり、
式内社・富知神社であると記されている。
投稿者 GenSyouShi : 14:06 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
2009年6月24日
布制神社 (篠ノ井山布施)
長野県にある、布制神社(篠ノ井山布施) を掲載しました。
長野県長野市にある。
篠ノ井駅の北西、道なりに進んで9Kmほどの山布施に鎮座。
86号線をウネウネと上っていくと、道の北側に境内入口がある。
「延喜式内 ■社 布制神社」と刻まれた社号標が建っており
「郷社」の「郷」の字が埋められて消されている。
これは社格廃止に伴う処置で、各地の神社社号標にも見られるもの。
歴史の証なので、消さなくても良いと思うのだが、
神社の潔癖さのあらわれということだろうか。
木製鳥居をくぐると参道。
参道左右には木々が聳え、正面に社殿。
元は萱葺だったと思われる拝殿の後方に、
神明造の本殿が鎮座。
拝殿と比べて、本殿がやや小ぶりなのが印象的。
社殿の左手に、御神木らしき木があり、
その根本に境内社と思われる社殿や石祠があるが、詳細は不明。
『明治神社誌料』には、境内社として金刀比羅の名があるが
この境内社が金刀比羅社だろうか。とにかく未確認。
だが、生き物のように四方に延びた枝を持つ御神木の根元にあり
不思議な雰囲気を醸し出しているのが興味深い。
創祀年代は不詳。
社伝によると、
神護景二年(768)高橋朝臣国是之が、更級郡の大領に任じられ
下総国結城布制郷の人民を従えて当地に移住し、土地を開拓した。
後、宝亀八年(777)布施氏の祖・大彦命を勧請したという。
また『信州宝鑑』には、光仁天皇の御宇(708-782)、
宝祚長久国家安全を祈願して、伊勢神宮の分霊を勧請とある。
投稿者 GenSyouShi : 16:31 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
2009年6月23日
南洋神社
廃絶神社、南洋神社。
現在のパラオ共和国のコロール島にあった。
パラオ共和国は、フィリピンの東にあるミクロネシア地域の複数の島からなる国。
第一次大戦後に、日本の委任統治領となっており
当時の中心地であったコロール島に、昭和十五年に創建された神社。
投稿者 GenSyouShi : 20:46 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
大宮神社 (伊豆大島)
伊豆大島の大宮神社(伊豆大島) を掲載しました。
伊豆大島にある。
大島の西部にあり、大島町役場の南2Kmほどの野増に鎮座。
208号線に面して参道入口があり、
「郷社大宮神社」と刻まれた社号標の横に
参道入口の鳥居が建っている。
参道の長い階段を上ると、もう一つの鳥居があり
さらに参道を進むと、広い場所に出る。
そこに社務所、あるいは参籠所らしき建物があり、
さらに鳥居が建っている。
その鳥居をくぐると、自然石を敷いた参道。
鬱蒼と茂るシイの樹林の中を、緩やかにのぼっていくと
石垣に囲まれた、社殿のある境内に到着する。
社殿は拝殿と、後方に神明造の本殿。
周囲には、小さな石祠が、いくつも祀られていた。
参拝は5月のゴールデンウィーク、新緑の頃。
参道や社殿周囲の樹林は
東京都の天然記念物に指定されているようで、
むせかえるほど濃密な植物の臭いを放っており、
社殿がまるで、ジャングルの中の小屋のような雰囲気だった。
創祀年代は不詳。
『三宅記』に
「三島の神大島に置き給ふ后を羽分の大后と申しける」とある「羽分の大后」は
大島南東部に鎮座する波布比咩命神社に祀られているが、
その「羽分の大后」には二人の王子があったという。
一人は「太郎王子おほい所」、一人は「次郎王子すくない所」。
この「太郎王子おほい所」が当社祭神である阿治古命。
「次郎王子すくない所」が大島北東部にある波知加麻神社の祭神だそうだ。
元は、現社地の東南の山中、三原山旧登山道にあり
三原山砂漠の近くの「阿治古」に鎮座していたが、
度重なる三原山の噴火によって、
室町時代頃、現在地に遷座したと考えられている。
投稿者 GenSyouShi : 02:02 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
2009年6月20日
平壌神社
廃絶神社、平壌神社。
現在の朝鮮民主主義人民共和国の首都・ピョンヤンにあった。
大正二年の創建。
昭和になって、皇太子誕生を記念して社殿一新。
投稿者 GenSyouShi : 12:08 | こめんと (1) | A. 掲…掲載
2009年6月19日
羽梨山神社 (笠間市)
茨城県の 羽梨山神社(笠間市) を掲載しました。
茨城県笠間市(旧岩間町)にある。
常磐線・岩間駅の西北西3Kmほどの上郷に鎮座。
355号線から280号線へ入り、2Kmほどの突き当りに境内がある。
境内入口は南向きで、280号線から少し入った場所。
入口には石の鳥居(元禄年間建立)が建ち、
鳥居をくぐると正面、境内中央に社殿がある。
境内は鬱蒼とした木々に覆われた杜。
本殿の後方には、御神木の2つに分かれた杉があり
天然記念物に指定されているらしい。
参拝は10月休日の午後。
茨城旅行最終日の最後に訪れた神社。
ということで、社殿には低くなった日射しの木漏れ日が斑な陰を落とし、
学校の放課後のような哀愁を感じた参拝だった。
創祀年代は不詳。
三代実録に、羽梨神とあり
貞観十二年(870)八月二十八日、従五位下から従五位上に
さらに、仁和元年九月七日、正五位下を授けられたとある古社。
投稿者 GenSyouShi : 21:37 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
2009年6月16日
布杜神社 (久美浜町女布)
京都府の 布杜神社(久美浜町女布) を掲載しました。
京都府京丹後市にある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線・甲山駅の東4Kmほどの女布に鎮座。
道路行程では6Kmほどになるだろうか。
佐濃谷川に沿って南北に走る668号線から20号線へ入り、
200mほど東へ入った場所に境内入口がある。
と、思うのだが、実はよく覚えていない。
実際は、もう少し北だったかもしれない。
当社の北にある賣布神社への参拝を終えて当社へ向かう。
賣布神社の由緒書には、南170mと記されていたので
探しながら南下したが、見当たらず、
さらに南下すると、真新しい二基の燈籠が建っていた。
階段を上ると、獣除けの電線があるが、
その電線を除いて参道を北上。
参道は100mほどだろうか、狭い参道を進むと
竹林の中に、良い雰囲気の境内がある。
数段の階段を上ると鳥居が建っており、
境内中央に本殿があるだけの簡素な神社。
『平成祭データ』には布森神社と載っていたが
覆屋根のある本殿の扁額には「布杜神社」と記されていた。
当社の由緒は未詳。
当社を賣布神社の元宮とする説もあるらしい。
投稿者 GenSyouShi : 20:04 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
賣布神社 (久美浜町女布)
京都府の 賣布神社(久美浜町女布) を掲載しました。
京都府京丹後市にある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線・甲山駅の東4Kmほどの女布に鎮座。
道路行程では6Kmほどになるだろうか。
佐濃谷川に沿って南北に走る668号線から、
300mほど東へ入った場所に境内がある。
境内入口、手水舎の脇に船石と呼ばれる石がある。
参拝時は、案内板をよく読まず
船形の石なのだと思い込んでいたが、
当社御祭神が当地へ船に乗って来られた
その船を埋めた場所の印の石なのだそうだ。
参道を進み、鳥居をくぐると正面に社殿。
入母屋造拝殿の後方に流造の本殿があるが、
拝殿は白く塗られた木に補強されていた。
個人的好みから言えば、黒か濃い褐色でお願いしたいところ。
社伝によると、
垂仁天皇の御代、河上摩須の勧請という。
式内社・賣布神社に比定されている神社で
「丹後国神階帳」に「正三位 賣布明神」とある古社。
投稿者 GenSyouShi : 20:02 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
2009年6月15日
八幡宮來宮神社 (伊東市)
静岡県の八幡宮來宮神社(伊東市) を掲載しました。
静岡県伊東市にある。
伊豆急行・伊豆高原駅の西1Kmほどの八幡野に鎮座。
135号線を越えて進むと、
(たぶん)銅製の鳥居が、八角形の台座の上に建っており、
鳥居の後方、階段の上に、朱の神門の冠木門がある。
冠木門は木を組んだだけの簡素な門で、
武家屋敷などに多く、神社では珍しいかもしれない。
参拝は、年末の休日。
迎春用に、鳥居の足もとには角松、冠木門には国旗が飾られていた。
その冠木門をくぐり、参道を進むと、緩やかに傾斜した、木立の杜の境内。
午後の参拝で、日は傾き始めており、木漏れ日も少なく、やや暗い境内だが、
自然と一体となった姿が美しい境内。
階段を上ると、
右手に手水舎があり、左手に五社並んだ境内社。
(子安神社・蛭子大神・天満宮・若宮八幡宮・大国主大神)
さらに進むと、左手に二社並んだ境内社。
(水神社・火焚神社)
さらに進むと、もう一つの境内社があるが
社名は確認していない。
社殿の造りから判断すると、神明社のようだ。
『明治神社誌料』では、境内社筆頭にに大神宮の名があるので
たぶん、皇大神宮(神明社)で正解だと思う。
さらに参道を進むと入母屋造の拝殿があるが
拝殿の前方には、一際大きな巨木が聳えている。
拝殿の後方には、二間社流造の本殿があるのだが
覆屋の中にあり、確認できなかった。
覆屋の側面が、半透明のビニールトタンなのでシルエットは判るのだが。
社名が示す通り、
当社は八幡宮と来宮神社を併祀した神社。
八幡宮の創祀年代は不詳。
地主神として崇敬され、鎮座地名の八幡野も当社に由来する。
来宮神社の創祀年代も不詳。
式内社・伊波久良和氣命神社の論社となっている古社。
伊豆国神階帳に「従四位上 いはくらわけの明神 」とある神社で
もとは海浜の岩窟(西ノ洞)に奉斎されていたものが
後に八幡宮社域へ遷されたものと考えられている。
投稿者 GenSyouShi : 14:32 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
ダニー・ボーイ
朝からパソコンで調べものやデータ整理。
BGVとしてCSをテレビで流していた。
見ていたというより、聞き流していた。
で、映画 『歓喜の歌』 を聞いていたのだが、
スーパーで働く主婦(平澤由美)の独唱のシーンで手が止まり、
思わず涙を流してしまった。
たぶん、この映画を見て、このシーンで感動した方は多いと思う。
映画を紹介するブログじゃないので、内容には触れないが、
この歌は良かった。
で、歌の内容(歌詞)を知っていれば、
さらに感動できるのではないかと思い、このビデオを紹介。
戦場へ行った愛しい人を待ち続ける女性の歌。
いつまでもいつまでも待ち続ける歌。
追記。
そういえば以前にも、何気なく見ていたテレビで
突然の独唱に、感動というか、衝撃を覚えた記憶がある。
『リンダリンダリンダ』 という映画で、内容は僕には合わなかったが
主役のガールズバンドが遅刻し、生徒らが遊んでいる体育館の舞台で
突然、歌いだす湯川潮音。
ふわふわとしたその歌唱が、体育館に居たすべての人々の心を鷲掴みにする瞬間。
何を歌ったのか、全然覚えていないのだが、その衝撃だけは心に残っている。
ひょっとすると、CDやコンサートで聴くと、普通の感想しか持たないのかもしれないのだが、
映画の中の一シーンで突然披露される歌やダンスは、卑怯なほどに感動的。
投稿者 GenSyouShi : 10:35 | こめんと (0) | 3. 聴…音楽の話
2009年6月14日
天岩戸神社 (大江町)
京都府の 天岩戸神社(大江町) を掲載しました。
京都府福知山市(旧大江町)にある。
北近畿タンゴ鉄道宮福線の大江山口内宮駅の西1Kmほどの佛性寺に鎮座。
9号線を西へ入り、皇大神社を通過して、
河に沿って緩やかに登っていくと、道路の左側に境内がある。
道路から階段を降りると産釜遥拝所があり、
見下ろすと下の川に産釜が見える。
参道を進み、鳥居をくぐって、
さらに階段を下り、川沿いの道を歩くと
巨石の上に社殿がある。
皇大神社(元伊勢内宮)・豊受大神社(元伊勢外宮)とともに
元伊勢三社の一社と呼ばれる神社だが、
残念ながら、当社に関する由緒は未入手。
投稿者 GenSyouShi : 12:07 | こめんと (4) | A. 掲…掲載
2009年6月11日
皇大神社 (元伊勢内宮)
京都府の 皇大神社(元伊勢内宮) を掲載しました。
京都府福知山市(旧大江町)にある。
北近畿タンゴ鉄道宮福線の大江山口内宮駅の西500mほどの内宮に鎮座。
9号線を西へ入ると、参道階段があり、
参道入口に「元伊勢内宮 皇大神社」と刻まれた社号標。
参道の傍らに「秋葉神社 燈籠」と案内板のある燈篭があったが、
これも境内社なのだろうか。
階段を上ると、新しい神明鳥居が建っており、
参道の緩やかな登り道が上へ続いている。
鳥居をくぐると、右手に「天皇神道社務所」があるが
当社・皇大神社とは別の団体のようだ。
参拝は炎天下の8月で、
少し体調が悪かったので、休憩を兼ねて
その社務所にお邪魔し、御朱印をお願いすると
印は無かったが「天皇神道 元伊勢皇大神宮 岩長姫命」と墨書きをいただいた。
社務所を出て、参道を進むと、
参道中央に麻呂子親王御手植杉が聳えている。
麻呂子親王御手植杉は何本かあり、枯れてしまったものもあるようで
根元しか残っていないものもある。
さらに真名井の池などを見ながら参道を進むと、「厄神さん」御門神社がある。
御門神社の脇に、石の長椅子のような形状の「金のなる石」があり
石で打つと金の音が鳴る奇石らしい。
さらに参道を進むと黒木鳥居が建ち、社殿のある境内。
拝殿・本殿を取り巻く境内の周囲には、多くの境内社が祀られている。
まず拝殿左手前、少し低い場所に横向きの熊野神社。
右手前には、變若水の榎と三女神社。
拝殿の右手には、天手力雄神社。
左手には、龍灯の杉と栲機千千姫神社。
確認できた境内社は、
参道の燈籠・秋葉神社と御門神社を含めると合計八十四社。
『全国神社名鑑』にも末社八十四社とあるのだが、
『日本の神々』では七十九末社と記されている。
境内社社殿の大きさ・規模を見ると
栲機千千姫神社、天手力雄神社、熊野神社、興玉神社は別格のようで、
燈籠・秋葉神社も別にして、七十九末社ということだろうか。
また『神社名鑑』には末社八十一社とある。
境内には境内社の他に、へそ塚や和泉式部歌塚などもある。
『日本の神々』には旧村社となっているが、
『神社名鑑』には昭和五年府社に列したとある。
社伝によると、
崇神天皇三十九年、豊鋤入姫が天照大神の神教により
神器・八咫鏡を奉じて倭国笠縫邑を発し
但波国吉佐宮に還幸し、四年間天照大神を奉斎した。
当社は、その吉佐宮跡とされ、古来、元伊勢内宮と称され
広く崇敬された神社で、日室岳を神体山とする古社。
投稿者 GenSyouShi : 04:38 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
2009年6月 8日
豊受大神社 (元伊勢外宮)
京都府の 豊受大神社(元伊勢外宮) を掲載しました。
京都府福知山市(旧大江町)にある。
北近畿タンゴ鉄道宮福線の大江高校前駅の北、歩いて1Kmほどの天田内に鎮座。
9号線と由良川支流・宮川に挟まれた舟形の小山・舟岡山に境内があり、
九号線に面して参道入口がある。
参道の階段を上ると、砂利の境内。
社殿のある境内には、生木を用いた黒木鳥居をくぐる。
黒木鳥居をくぐり、左手に進むと境内。
境内中央に拝殿があり、後方に茅葺神明造の本殿。
拝殿の左右には、別宮の多賀之宮と土之宮が祀られている。
本社社殿を取り巻くように、境内の左右・後方に境内社が並んでいる。
また、『神社名鑑』や『神社辞典』には、当社は旧府社とあるが
『日本の神々』には旧村社となっている。
明治期の郷社以上が記載されている『明治神社誌料』には
当社の記載がなく、村社が正しいのかもしれないが・・・
いずれにしろ、当社で確認すれば良かったのだが、忘れてしまった。
創祀年代は崇神天皇の御代。
天照大神が倭国笠縫邑から当地へ還幸の際に創祀されたという。
旧号を与佐宮と称し、御山を比沼の真名井ヶ原と呼ぶ。
伊勢外宮の縁起を伝える
延暦二十三年(804)の『止由気宮儀式帳』によると
伊勢外宮は、丹波国比治真奈井に鎮座する豊受大神を遷座したものとある。
投稿者 GenSyouShi : 16:37 | こめんと (2) | A. 掲…掲載
2009年6月 7日
小槻神社 (草津市)
滋賀県の 小槻神社(草津市) を掲載しました。
滋賀県草津市にある。
草津駅の南東3Km、南草津駅の東3Kmほどの青地町に鎮座。
名神高速の近くに境内がある。
境内入口は西向き。
鳥居の脇に「式内 小槻神社」と刻まれた社号標が建っている。
鳥居をくぐり参道を右手に進むと、
石垣の上、社殿の建っている砂利の境内。
この石垣は、明治14年の造営の際
発見された古墳の石材を用いたものらしい。
階段を上ると境内中央に拝殿。
参拝は、年末の休日。
迎春準備のためか、拝殿には紅白の幕が付けられていた。
拝殿の後方、石組の上に、
垣に囲まれて、流造の本殿。
本殿の左右に、境内社の祠があり、
透垣の間から、見ることができる。
案内によると、本殿の右が日吉社・貴布祢社で、
左が恵比須社・熊野社。
ただ、左の祠は三扉なので、
もう一社(あるいは一座)祀られているのではないか、と思う。
創祀年代は不詳。
当地方に勢力のあった小槻山公が
その祖・於知別命を祀ったのが創祀だと思われる。
天徳三年、志津池のほとりの現在地に遷座され、
「池の宮」と称されていた。
(古社地は不明)
式内社・小槻神社に比定され、
天正九年宗源宣旨に、正一位池宮大明神の号証を残した古社。
中世には天児屋根命を合祀した。
投稿者 GenSyouShi : 12:15 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
2009年6月 5日
雑感
その1。
トップページの左側に、アマゾンのウィジェットを表示していた。
「神社本」の検索結果を出していたのだが、怪しい結果が出ているようなので、
下の方に移動して、別のウィジェットを追加。
こういう不具合は、どこに報告すれば良いのだろう。
その2。
不適切なコメントの書き込みが続いていた。
ムカついたので、IPアドレスを調べたところ、OCNユーザーの書き込み。
OCNでは、掲示板やブログに不適切な書き込みがある場合、
報告すれば対応してくれるらしい。
・書き込まれた掲示板/ブログのURL
・書き込みしたIPアドレス
・書き込まれた日付時刻
・書き込まれた内容
これらをメールで知らせたところ、すぐに対応し、返事が来た。
グッド!!
その3。
Yahooから知らせが来た。
来週(6/8)の「今週のオススメ」で 『玄松子の記憶』 を紹介するということ。
うれしい、というか、ありがたい。
サイト開設当初に一度、Yahooの「今日のオススメ」に紹介され、
アクセスが10倍以上になったが、今回は、それは無いだろう。
ということで、今週中に少し更新しておこう。
その4。
時間が有り余っているので、『玄松子の記憶』 の各ページを
わずかずつ、秘かにリメイクしている。
記事を追加したり、修正したり。
ページ掲載以降に、各県の神社誌などの資料を入手したため、
掲載当時は判らなかったことが判ったりと、いろいろと。
投稿者 GenSyouShi : 16:58 | こめんと (4) | 9. 雑…ふと思う
絹巻神社 (豊岡市)
兵庫県の 絹巻神社(豊岡市) を掲載しました。
兵庫県豊岡市にある。
城崎温泉駅の北東3Kmほどの気比に鎮座。
3号線を北上し、港大橋を渡ったところ、
道路の脇、絹巻山の麓に境内がある。
橋の東詰、道がカーブしている場所にあるため
車を止め難い場所。
かなり離れた場所に車を止めて、
歩いて境内に向かったが、小雨が降ってきて、
急いで参拝をしたのを覚えている。
社伝によると、応神天皇三年四月大山守命をして
山海の政を統治せしめし時、
大山守命は多遅麻黄沼前県主武身主命の子・海部直命をして
多遅麻の海政を行わせ、姓を海部直と称することを許した。
海部直命は、始祖である天火明命を黄沼前県に祀りて
清明宮と称したという。
仁徳天皇十年八月、海部直命を城崎郡司とし、海部直を兼ねることとなり
黄沼前県を海部村に置き、
多遅麻の海人を領し、清明宮(黄沼前神社)を海部村の絹巻山に移し
絹巻神社と称した。
投稿者 GenSyouShi : 16:08 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
2009年6月 4日
甲斐奈神社 (甲府市)
山梨県の甲斐奈神社(甲府市)を掲載しました。
山梨県甲府市にある。
金手駅の南100mの甲府市中央に鎮座。
道路に面して石垣が組まれ、
階段を上ると広くて綺麗な砂利の境内。
境内中央には、新しく改築された拝殿があり
後方に、やや小ぶりな感じの本殿が鎮座している。
参拝は、休日の早朝。
甲府市内のホテルを出て、すぐに参拝した神社。
あいにくの曇天と早朝のため、やや暗い境内だが、
市街地にある著名な神社であることは、すぐに理解できる。
社殿の左手には、境内末社や石がズラッと並んでいる。
南側から、
延命長寿社(旧石の霊、鳥居の石扁額や石柱などを祀る)、
動物霊石、諸霊社、水子霊石、無縁霊石、
境内守護社(戦没者霊・境内有縁神・庚申大神)、祖霊社
五行円満石、家内安全社、安全・合格の鐘、合格の石
学業成就社、学業・交通守護牛、交通守護社、交通・開運守護馬
開運守護社、甲斐奈七福神、諸願成就社、百度めぐり、
商売繁盛社(稲荷社)大国主大神石像、
健康守護社(金比羅大神・大國主大神・活目大神)、生目大神石像。
境内の南側には、命の石・子育石・夫婦銀杏石などもあり
現世利益の霊験著しいお宮なのだろう。
末社群の奥に、石碑が三本建っていたが、
読めなかった(残念)
社伝によると、
人皇第二代綏靖天皇の御代、
皇子土本毘古王が、甲斐国疏水工事を行い、
甲斐国開拓の御業なせし時、中央の山上甲斐奈山(現愛宕山)に、
白山大神を祀ったのが当社の起源。
投稿者 GenSyouShi : 09:05 | こめんと (0) | A. 掲…掲載
2009年6月 1日
川田神社 (湖南市)
滋賀県の 川田神社(湖南市) を掲載しました。
滋賀県湖南市にある。
草津線・石部駅の東2Kmほどの正福寺に鎮座。
野洲川を越えて、1号線を横断し、27号線を東へ500mほど進むと、
道路の南側に、こんもりとした社域の森が見えてくる。
境内入口は南側。
舗装された参道の先、森の入口に鳥居が建っている。
鳥居をくぐり、境内参道を北上すると、突き当りに拝殿。
拝殿の後方、少し離れて石組みの上に本殿覆屋がある。
内部の本殿は確認していないが、
案内板によると、慶長五年の流造。
参拝は、年末の休日、早朝。
参道や社殿には、明かりが灯っている頃。
少し寒かったが、静かな参道を歩くと、身が引き締まってくる。
参道も境内も、とても綺麗で、
本殿前には、迎春の角松が飾られていた。
創祀年代は不詳。
社伝によると、元亀元年(1570)五月、
織田信長と六角承預が野洲川で対戦した時、
天台宗の名刹である正福寺が織田側に加勢したため
六角勢に、正福寺ともども焼かれ、
慶長五年(1600)再建されたという。





















