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2012年2月20日

男坂神社 (養父市)

兵庫県の 男坂神社(養父市) を掲載しました。

兵庫県養父市にある。
養父駅の西13Kmほどの大屋町宮垣にある。
9号線を西へ進み、大屋川と合流して6号線へ進入。
大屋川に沿って6号線を9Kmほど西へ進むと当社境内がある。

当社の北には琴弾峠があり、272号線の琴弾トンネルがある。
参道の左手に「式内 男坂神社」と刻まれた社号標が立ち、
参道を進むと、右手に境内社の祠。
さらに参道を進み、階段を上ると鳥居が立っている。
両部鳥居の扁額にも「式内 男坂神社」。

鳥居をくぐり参道を進むと手水舎があり、
さらに階段を上ると社殿がある。

拝殿は入母屋造。背後の本殿も入母屋造で銅板葺き。
どっしりとした重量の屋根で、荘厳な雰囲気。

境内全体が一つの丘になっているようで、
自然にあふれた神域だが、
社殿のある頂上部が少し狭い。

『養父郡誌』によると、
上古、少彦名命と大名持命の国土経営のおり、
当地にて六張の琴を奏でたことから
琴弾山と呼ばれるようになったという。

また、その縁より、少彦名命の神霊を留めて天神と称した。
鎮座の山は、小さな少彦名命が
神産巣日神の手の俣の間からこぼれ落ちた故事から
手間山と称していたが、
天神が、いつしか天満天神となり、
手間山も天満山と呼ばれるようになったという。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 18:20 | こめんと (0)

2012年2月16日

玉依比賣命神社 (松代町)

長野県にある、玉依比賣命神社(松代町) を掲載しました。

長野県長野市にある。
長野電鉄屋代線・松代駅の東2Kmほどの松代町東条に鎮座。
尼厳山(780.9m)の南西麓に境内がある。

蛭川を越え、小学校の前を通過して300mほどの位置に
参道入口の鳥居が立っており、鳥居脇に大きな木。
鳥居をくぐりケヤキの参道を進むと、山の斜面に当社境内。

木々に覆われた境内の中央部、石組の上に大きな社殿がある。
拝殿は、八棟造りの複雑な構造。後部の本殿は流造。

参拝は10月で、中途半端な季節。
初夏なら鬱蒼とした緑、11月なら紅葉が楽しめたかもしれない。
とにかく、気持ちの良い神社だった。

境内右手(東側)には、尼厳山・奇妙山トレッキングコースの
池田の宮登山口になっている。

社伝によると、
人皇八代孝元天皇十六年四月十六日、
斎川の地(現在の岩沢、東1Kmほど)に勧請。
あるいは、
十代崇神天皇の御宇、科野国造建五百建命が一川の地に創建し、
六十個の勾玉を納めて神宝とした。

当初の鎮座地から、後に磯並に遷座。
寛喜二年(1230)現在地に遷座。
式内社・玉依比賣命神社に比定される古社。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 23:46 | こめんと (2)

2012年2月13日

玉依神社 (亀岡市)

京都府の 玉依神社(亀岡市) を掲載しました。

京都府亀岡市にある。
亀岡駅の南西14~15Kmほどの東別院町湯谷に鎮座。
大阪府との県境に近い湯谷ケ岳(622.4m)の南東。
集落の奥に境内がある。

集会所の近く、道路に面して参道入口があり、
階段を登ると灯籠が二本立っており、
灯籠の右脇に「玉依神社」と刻まれた小さな社号標。
参道を進むと、京都らしい竹林の参道に鳥居があり、
さらに参道を緩やかに登って行くと広い場所に出る。

そこからさらに苔の参道階段を上って行くと当社社殿。
拝殿はなく、本殿に覆屋根を設置しただけのもの。
本殿は立派な流造。

周囲は鬱蒼と茂る森で、曇天のせいか、やや暗い境内。
本殿前に提灯をぶら下げる提灯台が二つあるが、
夜の境内に提灯だけが光ってたら、ちょっと怪しい雰囲気かもしれない。
などと考えながらの参拝。

京都府と大阪府の県境にあり、
京都からも大阪からも遠い集落の奥にある神社で
境内の様相も、遠い地にある神域といった印象だった。

残念ながら、当社に関する由緒等の情報は未入手。

式内社調査報告によると、『特選神名帳』に
式内社・神野神社の論社として記されているらしい。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 18:18 | こめんと (0)

2012年2月10日

白旗神社 (鎌倉市)

NHK大河の「平清盛」を見ていたら、昔、頼朝の墓に行ったことを思い出した。
ということで、
神奈川県の 白旗神社(鎌倉市) を掲載しました。

神奈川県鎌倉市にある。
鶴岡八幡宮の東500mほどの西御門に鎮座。
金沢街道から北上し、小学校の横を通ると当社境内に到着する。

その道をまっすぐ進むと階段があり、階段途中に鳥居があるが
当社境内は階段の下に、東向き。

境内入口の鳥居をくぐると正面に社殿がある。

境内前の道を北上し、階段を登ると
当社祭神の源頼朝公の墓があり、国指定史跡になっている。

墓の脇に「希義公の土と石」というものがある。
平治の乱の時に13歳の頼朝は平家に捕らえられたが
弟・希義(3才)も捕らえられ、以後、兄弟は再会する事が無かった。
そこで、平成になって兄弟の墓所の土と石を交換したらしい。
希義の墓は、高知市の介良にある。

この地は、もと源頼朝公居館(幕府)の北隅で持仏堂があり、
源頼朝が、石橋山の 合戦にあたって髻の中に納めて戦ったという
観音像が安置されていた。

頼朝没後には法華堂と呼ばれて、
明治維新の後、明治五年に白旗神社となったもの。

頼朝の墓から東へ行くと、
三つの洞窟のようなものがあり、
頼朝に仕えた大江広元、島津忠久、
大江広元の子で、戦国大名毛利家の始祖である毛利季光の墓がある。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 01:19 | こめんと (3)

2012年2月 6日

與能神社 (亀岡市)

京都府の 與能神社(亀岡市) を掲載しました。

京都府亀岡市にある。
亀岡駅の南西5.5Kmほどの曽我部町寺に鎮座。
423号線を南西に4Kmほど進み、
407号線に入って南下すると、当社境内に到着する。
当地は摂津と丹波を結ぶ交通の要衝。
周囲には後期古墳が多く分布しており、
律令時代の與能廃寺などがあり、古くから開かれた土地。

境内入口は西向き。
「郷社與能神社」と刻まれた社号標が立っており
10段ほどの階段の上に鳥居が立っている。

鳥居をくぐると砂利の境内。
左手に社務所があり、右手に手水舎。
中央奥に拝殿がある。

拝殿の後方に10段ほどの階段があり、
参道中央に古びた灯籠。
灯籠の左右に屋根の付いた建物があり、
ベンチが置いてあるのだが何だろうか。
その灯籠の奥に立派な彫刻を施された、千鳥破風向拝付の流造本殿。

境内に応永二十一年(1414)の銘のある古い石灯籠があり
県の文化財になっているらしいが、どの石灯籠か確認し忘れた。
本殿前、参道中央の灯籠だろうか。
『全国神社名鑑』に載っている写真には、この灯籠が無い。

社伝によると崇神天皇の御宇の創祀。
丹波道主命が祀った桑田郡三座の一つ。
式内社・與能神社に比定されている古社。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 20:31 | こめんと (0)

2012年2月 1日

祝神社 (松代町)

長野県にある、祝神社(松代町) を掲載しました。

長野県長野市にある。
長野電鉄屋代線・松代駅の南東500mほどの松代に鎮座。
403号線から一本東へ入った道に面して西向きの境内。

住所は松代町松代なのだが、
社頭の案内板には「伊勢町」と書かれていた。
このあたりは伊勢町とも呼ばれているようで
近くに伊勢町公民館もある。

西向きの境内入口には大きな明神鳥居が立っているが、
『式内社調査報告』の写真には、
この鳥居が写っていないので、比較的新しいものだと思う。

鳥居の右手に「延喜式内社祝神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐると正面に大きな入母屋造瓦葺の拝殿があり、
拝殿の後方、池の中の石垣の上に流造の本殿がある。

参拝は晴天の十月の午後。
池をボーっと眺めながらの参拝。
大きな池ではないけれど、なんとなく気持ちが良い。

境内の隅に稲荷社があるのだが、
名前を告げずに多額のお金を奉納する方が居られるようで
その方へのお礼状が書かれていた。
なんとなく気持ちが良いのは、それを読んだからかもしれない。

祝神社の読みに関して
『平成祭データ』には「ほおり」とあるが
『明治神社志料』には「はふり」とあり、
『神社覈録』には「波布利と訓べし」とある。


創祀年代は不詳。
口碑に、上古英多真人の祖が、英多郷開拓の時に勧請したという。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 06:56 | こめんと (0)

2012年1月28日

磐梯神社 (磐梯町)

福島県にある 磐梯神社(磐梯町) を掲載しました。

福島県の磐梯町にある。
猪苗代湖の北西、磐梯山の南西麓。
磐越西線・JR磐梯町駅の北2Kmほどにある
磐梯八幡の並杉地区に鎮座。
史跡慧日寺跡のはずれに境内がある。

7号線にある道の駅ばんだい近くに北へ入る道があり
北上すると平成二十年に復元公開された慧日寺金堂。
金堂の手前で東へ入って行くと、仁王門があるが
その道をずっと東方向へ行くと当社境内の前に到着する。

車を停めて参拝しようとしたら、
「クマ出没注意」の看板があったので
周囲に注意しながら、参拝開始。

境内入口は南向き。鳥居の扁額に「磐梯神社」と書かれ、
鳥居の左手に自然石に「郷社磐梯神社」と刻まれた社号標があり
鳥居の右手にも加工した石の社号標。
その社号標の後方には、磐に注連縄された磐座がある。

鳥居をくぐると広い境内。この境内は、
慧日寺跡の史跡整備事業で平成十二年に移築整備されたもの。
境内の奥(北側)に、その頃新築された社殿がある。

拝殿の右手に守札所・社務所があり渡り廊下で拝殿と繋がっている。
拝殿の扁額には「磐梯大神」。
拝殿の後方には、流造の立派な本殿がある。

参拝は、東日本大震災から三カ月経過した六月。
猪苗代湖ズの『I love you & I need you ふくしま』を聞いて
久しぶりに猪苗代湖を見に来た帰りに参拝。
郡山の近くで車中泊し、日の出直後にやって来たので
慧日寺金堂はまだ開いていなかった。

早朝で曇天だったため、写真はくすんだ色になってしまった。
晴天の明るい日なら、復元された金堂の朱も緑の芝生も、
もっと美しく撮れたかもしれない。

社伝によると、
平城天皇大同二年(八〇七)二月十三日の勧請。
『明治神社志料』には式内社・磐掎神社であると記されている。

境内の碑文によると、
慧日寺(恵日寺)の守護神として奥宮に祀られたとあるが、
本来は磐梯山山頂に本社があり、当地に遥拝所が作られたのだろう。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 16:03 | こめんと (0)

2012年1月23日

籔田神社 (南丹市)

京都府の 籔田神社(南丹市) を掲載しました。

京都府南丹市にある。
亀岡市との境からすぐ北の園部町南大谷に鎮座。
亀岡駅の北西14Kmほどの位置で、
372号線から少し西へ入った場所。

古代山陰道の野口驛の近くに、
丹波国府から篠山盆地へ向かう街道の要衝にあり
付近には古墳や中世荘園の野口荘がある。

境内は南西向き。
「したひの森」とも呼ばれる森の中に境内がある。
石垣の参道を進むと境内鳥居。
鳥居の奥に拝殿。
拝殿の後方に流造の本殿を納めた覆屋がある。
現在の本殿は江戸時代に再建されたものらしく
それ以前の本殿は、当社の西300mの普済寺付近にある
天満宮の社殿になっているらしいが、見ていない。

本殿の左手に、本殿と同規模の境内社がある。猿田彦神社のようだ。

その猿田彦神社と本殿の中央に磐座らしき石があるが
『式内社調査報告』には、何も記されていなかった。

志多非(したひ)の森にあり、鎮座地は、かつては志多樋といい
志多樋神社とも称された神社で、
式内社・志多非神社に比定されている古社。

現在の祭神は、月讀命・伊邪那岐命・須佐之男命だが
昔は猿田彦命であったと伝えられ、
『式内社の研究』では、本殿左の猿田彦神社こそが
式内社・志多非神社であるという。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 23:05 | こめんと (0)

2012年1月19日

黒野神社 (香美町)

兵庫県の 黒野神社(香美町) を掲載しました。

兵庫県の香美町村岡区にある。
山陰本線養父駅の北西32Kmほどの村岡に鎮座。
村岡は、江戸時代に山名氏が入部するまで黒野と称されていたらしい。

9号線を北西に進み、482号線へ入って200mほどの場所。
482号線に面して境内入口がある。
地図を見ると、山陰本線江原駅から神鍋高原を越えて
482号線を進んでも社前に到着するようだ。

鳥居の右脇に「縣社黒野神社」と刻まれた社号標が立ち、
鳥居扁額には、「式内 縣社」とあり
黒野神社の左右に志都美下神社、志都美上神社と刻まれている。

鳥居をくぐり参道を進む、階段を上るともう一つの鳥居。
その奥に、入母屋造の堂々とした拝殿がある。
境内の左手に社務所があり、右手には神庫。
拝殿の左右に、上へのぼる階段があり、入母屋造の本殿。

創祀年代は不詳。
式内社・黒野神社に比定されている神社。

一説には、橘諸兄公ゆかりの従三位参議黒野経秀卿が
但馬国に配流された時に創祀したとも伝えられ、
大同二年(807)、境内背後の伊津岐山山頂に鎮座し、
永享八年(1436)麓に遷座したとも伝えられている。

伊津岐山には、式内社・志都美神社二座の社殿も鎮座していたが
永享八年(1436)、当社の遷座と同時に合祀したという。
よって、伊津岐三社大明神とも呼ばれていたというが、
寛永十九年(1642)に当地に入部した山名氏が
伊津岐大明神と改称したとも伝えられている。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 17:04 | こめんと (0)

2012年1月14日

五百立神社 (奈良市)

奈良県の 五百立神社(奈良市) を掲載しました。

奈良県奈良市にある。
東大寺南大門から大仏殿に向かって北へ130mほど進んで
左手(西)の丘(五百立山)の麓に鎮座。
朱の鳥居の奥に、朱の垣に囲まれて小さな祠がある。

当社の右手に参道が奥に延びており
その先には、「鉄道職員殉職者供養塔」の
石造十三重塔が立っている。

もとはその場所に鎮座していたが、
昭和七年頃、この塔を建立するため、遷座されたらしい。

創祀年代は不詳。
式内社・五百立神社に比定されている古社。

手向山八幡宮の末社として、古来「五百餘所社」と称しており、
一説には、天平年間、大仏殿修造の時に活躍した
五百余人の番匠(現在の大工)を祀るとも伝えられている。

そうであれば、その地に鉄道職員殉職者供養塔があるのも
まんざら場違いではないような気もする。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 14:19 | こめんと (0)

2012年1月11日

荏原神社 (品川区)

東京の荏原神社(品川区) を掲載しました。

東京都品川区にある。
京浜急行の新馬場(しんばんば)駅の東200mほどの北品川に鎮座。
河口部では品川とも呼ばれる目黒川に沿って河口部へ進むと境内入口。
社前には赤い鎮守橋がある。

境内入口は東向き。目黒川が少し北東へ流れているので
川に向かって斜めに参道がある。
参道入口に木造の鳥居が立ち、「郷社荏原神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり参道を進むと恵比須像があり、
手水舎を過ぎると、もう一つの石造の鳥居。
この鳥居の奥に堂々とした社殿がある。

拝殿は入母屋造で、後方の本殿は流造。
資料によっては神明造と書かれているようだが。

参拝は東日本大震災の二日前。
天気の良い三月の晴天の日。

社伝によると、
元明天皇和銅二年(709)九月九日藤原伊勢人により勧請され、
貴布禰大 明神と号し、品川総鎮守だったという古社。
元は三ッ木に鎮座しており、後に現在地に遷座された。
旧地の三ッ木(大崎の近く)には今も貴船神社が祀られている。

同じく北品川鎮座の品川神社が北の天王社と呼ばれ
当社の通称は南の天王社。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 19:59 | こめんと (0)

2012年1月 7日

川會神社 (池田町)

長野県にある、川會神社(池田町) を掲載しました。

長野県の池田町にある。
大糸線・安曇追分駅の北東2Kmほどの会染十日市場に鎮座。
高瀬川にかかる高瀬川を東へ渡って100mほどで北上すると
目の前に、社域の森が見えてくる。

長い参道を北へ進むと、森の入口に鳥居。
鳥居扁額には「延喜式内 川會神社」と刻まれている。
鳥居をくぐると、広い境内。
参道正面に額殿(神楽殿)があり、
その後方に少し離れて拝殿。
拝殿の後方にブロック垣に囲まれて流造の本殿がある。

参道脇にはブランコや滑り台などの遊具が並んでおり
周囲の子供の遊び場になっているのだろうか。

境内周囲は、木々に囲まれ、
周囲から隔絶された神域という雰囲気。
天気が良くて、木漏れ日の影のため、写真撮影は失敗。
こういう神社は曇天か朝一の参拝が良いのだが。

創祀年代は不祥。
社伝によると、景行天皇の御宇、
有明の里(安曇の郷)の草創の神を祀った神社であるといい
式内社・川會神社に比定されている古社。

川會の社号は、犀川の支流・高瀬川と
木崎湖より発する農具川の合流地点に祀られたことによる。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 05:47 | こめんと (0)

2012年1月 4日

鹿嶋神社 (いわき市)

福島県にある 鹿嶋神社(いわき市) を掲載しました。

福島県いわき市にある。
いわき駅の南6Kmほどの花木下に鎮座。
26号線に面して西向きに境内入口がある。

入口を入り少し進むと石鳥居が立っており
鳥居の右手に「郷社鹿嶋神社」と刻まれた社号標。
左の足元には「鹿島小学校発祥の地」と刻まれた石碑。

石鳥居をくぐると、すぐに赤い両部鳥居。
階段を上ると、手水舎があり、
左手に曲がって階段を上ると社殿のある境内。

階段上のすぐ右手に神楽殿があり、
参道の正面に当社の社殿。
社殿の前には、背の高い木が聳えていた。

社殿の向きは南向き。拝殿は入母屋造の瓦葺。
背後の本殿は覆屋の中で見ていない。

参道に「華木公園」と刻まれた石碑が立っていた。
境内を含めたこの丘が公園になっているのだろうか。
境内入口に、その公園の手描きの絵が描かれていた。

創祀年代は不詳。
一説には、神護景雲(八世紀)の頃の創建、
あるいは、天平年間には社殿の葺き替えがあったとも。

昔、奥州の各地に鬼神が現れ人畜を悩ましていた頃、
武甕槌神が当初に出現し、鏑矢を天から降らせた
悪鬼を退治したという。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 22:45 | こめんと (0)

2011年12月31日

鷲子山上神社 (那珂川町)

栃木県の鷲子山上神社(那珂川町) を掲載しました。

栃木県の那珂川町にある。
那珂川町役場の南東8Kmほどの鷲子山(463m)山頂に鎮座。
栃木県と茨城県の県境にあり、
293号線の栃木県側と茨城県側に山頂へ続く参道がある。

僕は茨城県側の入口から当社を目指したが
293号線脇に大鳥居が立っており、当社への案内板がある。
そこから車で3Kmほど登ると山頂境内。
駐車場に車を停めて参拝を開始した。

駐車場から社殿へ向かう道の左手に赤い鳥居があるが
これは、最初の鎮座地に祀られている鷲子山本宮の鳥居。
鳥居の前を直進すると、左手に社務所があり、正面に境内鳥居。
鳥居の前には県境を示す案内板があり、
鳥居に向かって左手が栃木県、右手が茨城県。

鳥居をくぐり参道を進むと、左手に手水舎があり
亀型の敷石を並べた福亀石畳の参道を進むと
安養閣とも呼ばれる随神門。
随神門をくぐり参道階段を上ると鐘楼があり、
鐘楼の奥の左手に、当社社殿がある。
拝殿は入母屋造で、本殿は三間社流造。
精緻な彫刻が施された美しい本殿で、
随神門と本殿は県の有形文化財に指定されている。

社務所や社殿は県境の左手・栃木県側にあるので
当社は栃木県の神社なのだろう。

「鷲子山」は「とりのこさん」と読み、通称も、とりのこさん。
フクロウが、当社祭神の神使らしい。
以前は、ニワトリを神使としており、
境内にニワトリが多く飼われていたらしく、
本来、鳥の種類は問わないようだ。
ただ、現在はフクロウで統一され、
本宮前には巨大なフクロウの像があり、手水舎にもフクロウの像。
参道や境内、授与所のアチコチはフクロウ尽くしの状態。
社務所から社殿までの階段は96段あり、
往復すると2×96段で、不苦労となり幸せになるという。
僕は、登りは階段を使ったが、戻りは別の道を歩いてしまった。

社殿から東へ下った場所に石地蔵が幾つか並んでいる。
平成二年の工事の時に、地中から出てきたものらしい。

平城天皇大同二年(807)正月の創祀。
宝珠上人により、忌部組阿波国の天日鷲命が祀られた。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 08:41 | こめんと (4)

2011年12月26日

大名持神社 (吉野町)

奈良県の 大名持神社(吉野町) を掲載しました。

奈良県吉野町にある。
吉野町役場の東1Kmほどの河原屋に鎮座。
吉野川に沿って走る伊勢街道(169号線)に面して
南向きに鳥居が立っている。

当社背後の小山を妹山という。
妹山は伐採が禁じられている神聖な山で、
妹山樹叢は天然記念物に指定されている。
ゆえに、妹山という名は忌山とする説があるらしい。

当社の吉野川対岸の山を背山という。
妹山と合わせて妹背といい、当社のそばには吉野川にかかる妹背橋があり
浄瑠璃の「妹背山婦女庭訓」で有名な土地らしく
当社の妹背神社と呼ばれた事があるようだ。

僕は見たことがないのだが、資料によると
妹山は太宰少武国人、背山は大判事清澄の領内で、
領地争いで不和の両家の久我之助と雛鳥は恋仲という
ロミオとジュリエットのような設定に
暴逆きわまりない蘇我入鹿を、知謀に秀でた中臣鎌足が退治していくという
古代のファンタジー作品のようだ。

境内入口に石鳥居が立ち、鳥居の脇に
「式内大社 大名持神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり参道階段を上ると社殿のある境内。
境内は山の斜面にあり、境内全体が石垣の上にある雰囲気。

拝殿の後方、一段高い場所に板垣に囲まれて
神明造の本殿があり、板垣の右手に神饌所がある。

交通至便の場所にあるため
吉野を訪問する時は、いつも参拝している神社。

創祀年代は不詳。
竜門郷二十一ケ村の郷社。

交通の要衝(伊勢街道と東熊野街道の分岐点)にあり、
式内社・大名持神社に比定されている古社で、
延喜の制では、名神大社であり月次相嘗新嘗の幣帛を賜った大社。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 20:11 | こめんと (0)

2011年12月23日

三島神社 (南伊豆町妻良)

静岡県の三島神社(南伊豆町妻良) を掲載しました。

静岡県南伊豆町にある。
伊豆急行・下田駅から136号線を西へ19Kmほどの妻良に鎮座。
伊豆半島先端部の西側にある妻良港から少し南へ下った場所に
136号線に面して東向きの境内がある。

境内入口には明神鳥居が立ち、
鳥居扁額には「三島宮」。
鳥居上部の笠木は黒く、笠木の下の島木は朱色。
他の柱の部分は薄いピンク色で、柱根元の根巻は銅の緑という
ちょっと変わった色合いの鳥居が面白い。

鳥居をくぐり砂利の境内に入ると正面に
瓦葺の赤い拝殿。
拝殿の後方、一段高く本殿の覆屋があり
覆屋の中には赤い本殿が納められている。

境内左手には、北条水軍妻良の力石。
勇壮で力自慢の水軍だったようだ。

創祀年代は不詳。

慶長十三年再建され、明治六年九月村社に列した。

式内社・大津徃命神社に比定され、
『伊豆國神階帳』に「従四位上 おほつゆき姫の明神」とある神社。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 07:35 | こめんと (0)

2011年12月19日

大星神社 (上田市)

長野県にある、大星神社(上田市) を掲載しました。

長野県上田市にある。
上田駅の北2Kmほどの中央北に鎮座。
18号線と18号バイパスの中間あたり、
小学校の北側に広い境内がある。

上田城の北東にあり、上田市のシンボル太郎山の南麓にあって
上田の鎮守の社であり、明治期には上田神社と称した神社。

境内入口は道路に面して東向き。
鳥居をくぐり参道を進んで右に曲がり参道を北上する。
途中に石鳥居や朱の鳥居があり、参道は100m近くある。

参道の正面に瓦葺入母屋造の堂々とした拝殿があり、
拝殿の後方、朱の板垣に囲まれた朱の本殿がある。
本殿の形は流造。屋根は銅板葺きのようだ。

以前住んでいた家の近くにあり、
いつも社前を車で通っていた神社。
歩いて行くには遠いけど、車で行くには近すぎる距離で
参拝する機会が少なかった。

参道の右手には境内社の天満宮や神明像、石仏などがあり
本殿の左手には弥栄神社の祠。
境内の左手には、上小蚕糸業同盟会が造営した
養蚕国神社が祀られている。

創祀年代は不詳。

当社の起源は、当社北東にある前方後円墳を奉斎するため
里人がこの地に宮社を創建したという。

社伝によると、
醍醐天皇延長二年(924)社殿が改築されたとあり
平安以前から存在していた古社。
一説には、延長二年に諏訪神を勧請したとあり、
勧請以前は古墳の主を祀っていたのかもしれない。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 05:48 | こめんと (0)

2011年12月16日

吉水神社 (吉野山)

奈良県の 吉水神社(吉野山) を掲載しました。

奈良県の吉野町にある。
近鉄吉野線・吉野駅から南に2Kmほどの吉野山に鎮座。
吉野駅を出てロープウェイに乗りかえ、
ロープウェイを降りて少し歩くと道路の左手に鳥居が見えてくる。

鳥居の脇には「吉水神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり坂道を下ると「従是 吉水院」と刻まれた石碑。
さらに参道を進み、坂道を上ると門がある。

境内入口の門をくぐると社殿のある境内。
拝殿に向って左手に書院があり、授与所がある。

社伝によると、役の行者の休息の庵室として創立。
金峯山寺の僧坊・吉水院であったが、
明治になって廃寺となり、吉水神社と改称した。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 16:11 | こめんと (2)

2011年12月13日

中村神社 (松代町)

長野県にある、中村神社(松代町) を掲載しました。

長野県長野市にある。
長野電鉄屋代線・松代駅の南2Kmほどの西条字中村に鎮座。
神田川の西岸、小学校の北側に境内がある。

境内入口は南向き。小学校側に石造の鳥居が立ち、
鳥居の右手に「延喜式内中村神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり参道を進むと正面に社殿。
入母屋造の拝殿と、後方に板垣に囲まれた流造の本殿がある。

参拝は十月の晴天の日。
川沿いの道から境内の横を眺めながら正面に回り込む。
鬱蒼としたというより適度に茂った林の中にあり
派手さは無いが気持ちの良い神域だった。

創祀年代は不詳。
上古以前の創建と伝えられ、式内社・中村神社に比定される古社。

元は「大國大明神」と称し、大宮とも呼ばれていた。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 18:32 | こめんと (2)

2011年12月 9日

福太神社 (綾部市)

京都府の 福太神社(綾部市) を掲載しました。

京都府綾部市にある。
JR舞鶴線の梅迫駅の西4Kmほどの上八田町にある。
舞鶴若狭道と綾部宮津道の交差する
綾部JCTの西1Kmほどの位置。
485号線から北へ入った場所に、南向きの境内があり、
民家の間の参道を30mほど進むと境内入口。

数段の階段を上ると参道右手に
「式内村社福太神社」と刻まれた社号標。
社号標の後方に小さな祠がある。

石の鳥居をくぐると木々に囲まれて50mほどの参道。
参道奥に明るい砂利の境内がある。

社殿は石組の上にあり、垣に囲まれている。
中央に拝殿があり、左右に境内社の祠。
『平成祭データ』には、宇津比古命を祀る三柱神社と、
保食命を祀る稲荷神社の名が載っている。

拝殿の後方に本殿を納めた背の高い覆屋があり
拝殿の扉の隙間から本殿正面が見られる。

参拝は炎天下の夏の休日の午後。
「福太」という縁起の良い名前に
あやかれますようにと願って参拝した。

  
  
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投稿者 GenSyouShi : 05:34 | こめんと (1)

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